不用品整理の見積もりの時には依頼主と、その場でどう整理をするのか、片付けの方針を決めます。
例えば、3LDKの室内にそれはもう足の踏み場もなく、さらにゴミが自分の背の高さまである現場ならば、一日で作業が完了しないケースもあります。
その場合、あらかじめ第一日目にはここまでやって、それから二日目以降の方針を、一日目が完了した時点で依頼主と相談しながら定めます。
大量のゴミ屋敷状態ならば、それでスムーズに話はきまるのですが、困ったことには1ルームとか2Kの部屋の場合、微妙にそれができないことがあります。
会社の利益を上げるのならば、何回かに分けての作業はお得と言えます。
しかし、私たち整理屋は、利益とは別に、その部屋で生活をしている方のことも考えてしまいます。
私などはあっさりと割り切ることもあるのですが、いろんな考えのスタッフがいれば、考えや性格も違い、やはり依頼者のことを思いやって、できる限りのサービスを提供するのです。
先日も、その実例がありました。
現場は、都内2DKのお部屋。
室内は、ネズミが住んでいるぞ、という臭いが漂っています。
案の定、いたる所にネズミの糞が・・・。そして食品の山が・・・。
打ち合わせでは、キッチン周りとダイニング部分、その横にある納戸の整理をしようということでした。
そこは、認知症の高齢者がお住まいで、その甥にあたられる方が依頼者です。
甥ご様は、毎週認知症の叔母の部屋を片付ける為に、貴重な休みを利用してご夫妻で遠路かけつけ、整理されていたのですが、整理できる量とゴミを出す量が、どうしてもゴミの量の方が多く、いつしかゴミ部屋状態となってしまいました。
いつしか室内にはネズミが居つき、衛生の問題も発生し、今回の依頼となりました。
そのような、裏でのお世話を聞いている私たちは、何としてでも、この部屋を奇麗にしてあげたいと思います。
ネズミが駆け回る室内で寝食を共にすると考えただけでも、ぞっとしてしまいます。
何よりも叔母様の身体に良くありません。
作業が始まって2時間ほど経過した時に、私の携帯に「孤独死」現場の見積もり依頼が入りました。
孤独死現場というのは、変死ですから、近隣の住人に臭いで迷惑をかけるケースが多く、いわば緊急事態発生というものです。
その場には、どうしてよいのかわからず、不安な面持ちと身内を突然亡くされた悲しみの遺族がいるのです。
一刻も早く駆けつけなければなりません。
ゴミ整理の現場を離れ、見積もりに向かうことになったのですが、現場責任者がいなくなる事態に、依頼主へは私の立場を理解していただき、別のスタッフを責任者にたてることとなりました。
その責任者の指示のもとに、作業は進むこととなったのですが、私の立てた計画と別の指示になったのは、見積もりから戻った現場に入った時のことです。
その責任者は、私以上に依頼主の立場となり、「何とかしてここを奇麗にしたい。おばさんには綺麗な環境で生活をしてもらいたい」という思いが強かったのでしょう。
予定の部分をはるかに超えて、和室の片付けに入っていました。
私は思うのですが、そこには仏教的な表現をすれば、「慈悲心」がそうさせたとしか思えませんでした。
「慈悲心」とは、無償の愛と表現してもいいでしょう。
営利を追求する企業としては、反比例することなのですが、でも企業の中にはそのような思いを持つスタッフが多いほど、人の苦しみを救う仕事ができると思います。
私の尊敬する人物として、宮沢賢治がいますが、彼の残した詩でも、慈悲心あふれるものが多くあります。
代表的なものには、「雨にも負けず」がありますが、その精神なのです。
今回の整理は、見積もり以上の物を回収しています。
でも、あんしんネットの社長以下、スタッフがそのような気持ちを持っているというその事に、実は私自身安心を覚え、また感動もするのです。
現場では、ねずみが開けた穴を塞ぎ、室内に消毒薬を散布して作業は完了しました。
依頼者のおば様にはまだまだお元気で長生きをしてもらいたいものです。
素直にそう思える人に、「わたしはなりたい」。