遺品整理とは、亡くなられた方の残された物を、遺族になりかわって整理する業務です。
そこには孤独死現場の整理も含まれ、遺品整理から見える現場状況は、多くのマスコミで取り上げられてきました。
特筆すべきは、NHKの「無縁社会」シリーズでの映像で、その時あんしんネットは、「特殊清掃会社」と命名され、自分の気持ちでは「おかしい名前」と思いつつ、ひたすら現場と戦ってきました。おかしいと感じるのは、我々にとっては特別な清掃ではなく、孤独死現場には当たり前のように横たわっている清掃だったからです。いわば、日常の業務の一つとも言えます。
そして出てきたのが「福祉整理」です。正式名称は、福祉住環境整理ですが、高齢者に寄り添った整理術です。
高齢者の状況も様々です。
ですから、整理の仕方も様々に変化させていく整理なのですが、多くは認知症を伴った高齢者に寄り添った整理となります。
しかし、時代はそれだけではすませてくれません。
認知症からはじまる後見制度の在り方。いわゆる自己判断能力のない方の居宅の整理ですが、その制度に寄り添った整理が必要となりました。
あんしんネットでは、それを「後見整理」と名付け、今、新たな整理に取り組みはじめたのです。後見制度の支援のための整理でもあり、被後見人の財産保護はもちろんのこと、身上監護までも考えている整理と言えます。スタッフは制度についても学び、制度を深く理解しています。やるならば、徹底的に専門家となるしかありません。
現在、日本の社会は多くの問題や課題を抱えています。
それを良しとして、「知らぬ存ぜぬ」とはできないスタッフですから、正面から今の社会に向き合っています。そこに、企業としての利益や収益を考えると、立ち止まってしまいます。それではいけないと、いつも悩んでしまいます。
社会の中に、悩んだり困っている高齢者がいるならば、そこに寄り添い、そっと手を差し伸べる、そんな自分たちでいたいものだと常に思います。
これは、宮沢賢治の謳った「雨ニモ負ケズ」の詩と同じ心持ちですが、それでいいと感じるのです。
先日NHKのディレクターから、「石見さんは、そんな利益にもならないことを、なぜ、やるんですか?」という質問を受けました。
私は、「理由はありません。自分がそうしたいと感じたから動くんですよ」と答えました。
理由はありませんが、それではいけないと思い、自分が動くこと。それが大切だと思っているのです。
動くこと、言葉をかえると実行するということが大切で、動けば、必ずそこに何かしらの変化が現れます。それが良い結果を生むか、悪い結果を生むかは、誰にもわかりません。でも、結論から言えば、動くしかないとつくづく感じるのです。
私たちの整理の世界は、私たちが動かなければ、行き着くところは高齢者の「死」が待っています。
人を生かすも殺すも、そこに「動く」ということがなければ、結果「死」へとつながっていきます。
だから、「動く」のです。
その思いを、今はスタッフが共有し、誰もが相手の立場となって快く動いてくれています。
責任者としては、嬉しい限りです。
2月は月の半数が講演会活動でした。その為に、今は声がかすれてしまい、季節がら花粉症にも悩まされて、体調管理が大切に思えます。
3月はすでにかなりの現場施工が入っており、私も多くの現場へと駆けつけます。
遺品整理もあれば福祉整理もあります。また、後見整理もありで、気を抜くことができません。しかし、現場へと出て、そこから考えることも多くあり、それを地域での講演会の中で、多くの方々に伝えていきたいと思います。
全く石見さんがおっしゃる通りで・・・
現在長期入院中ですが、今や病院も大変なことになっています。
高齢者と被生活保護者の収容所かと思えるくらいです。
認知・痴呆の実態を見ました。
後見人が必要なのは周知の事実です。
このままでは危険です。
是非広範囲なご活躍を祈念いたします。
雑用は若手に任せて・・・