ゴミ屋敷清掃は究極の「3K仕事」だ。山積みのゴミの中には、しばしば人の排泄物もある。とりわけ尿をペットボトルに入れた「ションペット」は、住人の性別にかかわらず、重度のゴミ屋敷では定番となっている。なぜそんなことになってしまうのか。現場からリポートする――。(連載第2回)(取材・文=ジャーナリスト 笹井恵里子)
第1回でゴミの中に「人の大便があった」と記した。便があるのだから、当然「尿」もある。
トイレがゴミで埋まっている重度のゴミ屋敷の整理(掃除)を行うと、室内で茶色のペットボトルが大量に見つかることがある。ベテランの作業員は“ションペット”と呼んでいる。ゴミ屋敷に住み続けると、誰に教えられなくてもペットボトルに排尿するようになるとは、なんとも不思議な話だと感じる。
生前・遺品整理を手がける「あんしんネット」の事業責任者で、孤独死現場の第一人者でもある石見良教さんがこう言う。
「日常化してしまうとトイレはペットボトルという感覚になるんでしょうね。家の中に1本見つかれば、普通は100本以上出てきます。私はゴミ屋敷を“戦地”のようなものだと捉え、戦略を練って突撃する気持ちで作業(掃除)に臨んでいます。ションペットも、ある種、爆弾。かつては、このウーロン茶が入っているような茶色のペットボトルを大量に発見しても何かわからず、時にはうっかり踏んでしまって周囲に漏れてしまったり、破裂したりして大変なメにあいました。今はペットボトルを見たら疑いますからね(笑)。ええ、女性が住んでいた住宅でもありますよ」
ションペットを発見したら、漏れないように専用のケースに収容して、会社まで持ち帰る。ただし、ゴミの処理作業として中身(尿)を捨てるのは石見さんたちの仕事だ(写真:A~D)。
「ゴミ屋敷の現場で尿を捨てると、臭気でご近所の迷惑になってしまいますから、会社に戻ってから流すしかないんです。1階のトイレで流していると、2階まで臭気があがってきます。これまでの最高記録は1軒に5400本もションペットがありました。もちろんすべてフタを開けて、中身をトイレに捨てました。防毒マスクを着用してやりましたよ」
誰もが“やりたくない仕事”だ。石見さんもそのような作業にあたる時には「一切の思考を停止させて、ほぼ無心で動いている」という。正常な感覚で務まるものではない。もちろん高額な報酬も、誰かを救うような高尚な目標があるわけでもない。それでも私たちの社会に、このようなゴミ屋敷が多数存在している以上、誰かがその整理を請け負わなければならないのだ。
“家庭不和”が原因とみられるあるゴミ屋敷でも、ションペットが大量に散らばっていた。
清掃にあたったのは暑い夏の日だった。10人近くの作業員がトータルで5日間かけて作業を行うというレベルの、すさまじいゴミ屋敷。私は1日目の作業に参加させてもらったが、実際の現場を見て、よくこれで生活できていたな、と感じた。
玄関を開けると、いきなり高さ190センチ程度のゴミ山があって中に入れない。全員でとにかく玄関のゴミ山を排出しようということになった。何層にも積み重なったゴミはカチコチに固まっていて、一人がクワでゴミをかき出し(写真E-1~E-6)、それを皆が引っ越し用のダンボールに投げ込んでいく。バッサーン、ズッドーンと鈍い音がする。滝のように汗が流れ出るが、強烈に汚れた手ではぬぐうこともできず、目にしみた。
ゴミ山を見ていると、家主が亡くなったのはつい最近だが、ここはもうずっと前から時が止まっていたのがわかる。およそ20年前の週刊新潮や週刊朝日、地下鉄サリン事件を起こす前のオウム真理教が載った新聞(写真F)など、ゴミ山下方の内容物は1995年近辺の物が多い。
「よっぽど地元愛が強いんだなー」
作業員が横浜FCの応援グッズを見て口にする。そうなのだ。タオルや旗、人形、パンフレットなど多岐にわたる応援グッズが大量に出てくる。一度も開封されていない、梱包されたままの応援グッズも多い。
この家は、複雑な家庭環境だった。家主は結婚して2人の息子をもうけた。一人は養子になって他家へ行き、もう一人の子供と妻との3人生活を送るものの妻が病死。その後、家主は今から30年前に再婚をした。しかしまもなく家主が亡くなる。家主の息子と、血のつながらない後妻が残されたわけだ。ちょうどこの頃からゴミがたまり始めたようだ、と石見さんが分析する。
「生活圏が完全にふたつに分かれています。ゴミから判断すると、一階が後妻さんのエリア、2階が息子エリア(写真G)です」
そして息子エリアから大量のションペットが見つかったのだった。
家庭不和がなぜゴミ屋敷につながるのだろうか。
「“家”の共同体意識がなくなり、常に自分、個だけの動きとなったのだと感じます。誰とも関わりを持たない、持ちたくない、ゴミをため込むことにより他を寄せ付けず、威嚇するのです。私は“ゴミシェルター”と言っています」(石見さん)
自分を守るゴミシェルター。本人にとっては自分のつくりあげた作品であり、さらに強固な物に仕上げたいという心理が働いているように思える、と石見さんが補足する。
居住人にとってゴミはゴミでなく、ゴミこそが自分を守ってくれる唯一のアイテムということかもしれない。
このようなゴミ屋敷に住む人物像をあなたはどう想像するだろう。さまざまなケースがあるが、実は意外にも、高学歴で大手企業に勤めていた人の家がゴミ屋敷となってしまうケースが少なくない。
九州大学病院精神科の中尾智博教授によると「喪失体験」がゴミ屋敷化へのきっかけになりやすいという。
「子供時代なら両親の離婚や虐待、学校でのいじめ、成人してからなら死別や失業、離婚などが引き金になりやすい。私が診療した限りでは、半数以上の人に何かしらのきっかけがあります。いろいろな形で失ってしまった“体験”を代償的に埋め合わせる行為として物をため込むのです」
10月下旬、私は特異な孤独死現場にいた。近隣が「異臭」に気づき、管理人が踏み込むと、室内はゴミ屋敷で、その中で住人が亡くなっていたのだ。見つかる3カ月ほど前に死亡していたのではないかと推察されている。
室内に入ると、廊下に人サイズのシミがあった。そこで亡くなったと思われる。
この家は、これまでの自分が見聞きし、片付けていた家と何かが違った。ゴミはゴミ山でも、山の中身がきちんと整理されているのだ。
居住者はある大企業に勤めていたらしい。会社で部署異動や役職が代わるたびに、その年度を付箋に記している。例えば<1990年・××部部長>といった具合に、付箋を貼った自分の名刺をきれいにファイリングしているのだ。押し入れの中にはシャツ購入の際の空箱を利用して、「ネクタイ」「替えボタン」というようにこれまた付箋つきで分類された箱がずらりと並んでいる。しかも1~16までの番号順になっているのだ。
会食で利用したのだろうか、自分が利用したお店の箸袋もスクラップブックに並ぶ。
仕事関係の物以外にも、台所には豆腐パックがきれいに洗われて何十個と積み重ねてあり(写真H)、空き瓶は洗った後に透明なケースに収納されていた(写真I)。2リットルのペットボトルは中がきれいに洗われ、その中にはビニール袋がくるくるとまるまって収まっている(写真K)。
醤油などの調味料、油類などは、牛乳の紙パックを半分にカットしたものをかぶせて、「醤油さし」などと書かれた付箋が貼ってある。醤油も塩も油も、パッケージのままなら付箋は必要ない。なぜわざわざ見えないように箱をかぶせ、その上から付箋を貼るようになったのだろうか。
中尾教授に写真を見せながら尋ねると、「診療していないため、確実なことは言えませんが」と前置きした上で、
「もともとの性格はかなり几帳面で、やや度が過ぎている印象も受けますね。極度の几帳面に、『ためこみ症』を併発した可能性があるでしょう」
そう、家に物があふれて生活できなくなる、「ためこみ症」という病気があるのだ。