「片付けは努力が不毛に終わらない」
ゴミ屋敷清掃は過酷な仕事だ。そのかわり時給は約1400円、給与は即日払い、仕事の融通も利きやすい。ある会社では多くのスタッフが下積み中のお笑い芸人だ。その中には芸人の道を諦めて、社員になった人もいる。ゴミ屋敷清掃という仕事を、社員として続けることにしたのは、なぜなのか――。(連載第8回)(取材・文=ジャーナリスト 笹井恵里子)
「ゴミ屋敷」を片付ける仕事――あなたはいくらならできるだろうか。
連載第4回で一緒にゴミ部屋を片付けたプレジデントオンライン編集長の星野貴彦さんに「バイトとしてこの仕事ができるかどうか」と尋ねると、彼は首を横に振ってこう言う。
「一度や二度であれば興味本位の気持ちが勝ってできそうな気もしますが、ずっとあの作業を続けるというのは厳しいです」
実は私もこれに関しては、同感だった。
取材のため、単発なら、できる。けれど“ずっと”は難しい。
なぜだろうと自分の心に問いかけると、やはり「汚い現場」だからだ。本音は、人の汚物を片付ける、虫がわいているような現場で働くことに抵抗があった。ゴミ屋敷を掃除して帰宅すると、私はいつも真っ先にシャワーを浴びる。その日に身につけていた下着も、何度か処分したことがある。それでも自分の体に虫が這っているような感覚にとらわれて、眠れなかった。実際に体に赤い湿疹が出現したこともある。夏場に作業した後は熱中症にかかって、吐き気や頭痛に苦しんだ。
皆はどのような気持ちで仕事をしているのだろう。
「ションペットを処分する時は、なんらかの感情を持ったらダメ」
アルバイトのAさんはそう言う。ションペットとは居住者の尿の入ったペットボトルのことだ。強烈な臭いを放つため現場で処理できず、会社(=生前遺品整理会社「あんしんネット」)に持ち帰るのだが、この中身、つまり尿をトイレでひたすら流す作業については、誰もが「つらい」「苦しい」と言う。作業中に吐いてしまった人もいるそうだ。
ションペットの処理作業に“慣れ”はない。同社事業部長の石見良教さんも「これをやる時は一切の思考を停止させて、ほぼ無心で動いている」と話す。
「正常な感覚で臨むと、頭がおかしくなるかもしれません。みんな本音ではやりたくないですし、それをやらせるほうも覚悟がいります」
ちなみにこの作業をアルバイトが行う時は、通常の時給に“20%程度の上乗せ”がされる。再びAさんが怒ったように言う。
「社会的にきちんとしている人ほど、部屋にションペットがあったりするんですよ。お茶の先生、学校の先生、医療関係者とか。人前できちんとしすぎているから、家の中がイカれちゃうんじゃないですか。靴箱にションペットがずらりと並んでいたこともありましたよ。そんな現場では“依頼人の心に寄り添う”なんて絶対無理ですね」
「あとさ、あれが多いよね……」と話に入ってきたのは、同じくアルバイトの三井雄介さん。
「梅が入っているやつ!」
「梅酒ね!」
「絶対飲まないんだよなぁ」
それを聞いて笑ってしまった。私もゴミ屋敷の現場で、黒々とした液体に変わった梅酒に何度も遭遇した。ほかにも冷蔵庫や食器棚には、緑色に染まった煎餅や賞味期限が数年前に切れている調味料など、本来は口にするものが「食品」とはいえない状態でそこここに存在しているのだ。
またゴミ部屋化する人は、自分が好きなものやこだわりのあるものを際限なく買い集める傾向にある。
「本もめっちゃある家が多いですよね。頭のいい人が多いんだろうなぁ」と再び三井さん。
「じゃあ、俺らは大丈夫だな」と、大枝祐明さんが言い、3人のアルバイトは顔を見合わせて笑う。
同社のアルバイトには、“プロの芸人”を目指して下積み期間中の人が多い。オーディションを受けるなど急な仕事が入った時にも、仲間同士で勤務日を交代できるため、生活スタイルとマッチするようだ。
懐が寂しい時に“日払い”で給与が受け取れるところも魅力という。給与は、作業時間と現場の困難さ加減でその都度違う。同社の場合は通常「日当」で、時給に換算すると1400円前後。変死現場などになると、もう少し高い。また日当であるから、頑張って早く現場を終わらせれば当然時給単価はあがる。
ただ、どのアルバイトも、この仕事を続けられる一番の大きな理由は「人間関係の良さ」と話す。
「みんな知り合いですから。変な人間関係の派閥もないですし偉ぶる人も嫌な奴もいない。とにかく働きやすいんですよ」
ところで中には“芸人の道”をすっぱり諦め、同社社員になった人もいる。その一人が平出勝哉さんだ。平出さんは芸人下積みの合間に、同社でアルバイトとしてこの仕事を始めた。アルバイト歴5年、社員3年目で、現在35歳。
なぜ芸人の道を断念したのか、と平出さんに尋ねた。
「奥さんと結婚しようと思ったのが大きいですね。彼女も早く(芸人を)辞めてほしいと言っていたし、身内で応援している人も誰もいなかったし……」と苦笑いする。
平出さんは、前出の事業部長である石見さんに「社員になれませんか」と相談して、アルバイトから社員になった。
「30歳すぎて何もしていない人が就職するのって難しいと思うので、石見さんには頭があがらないです」
“何もしていない人”という平出さんの言い方にひねくれたところはなく、惨めさもなかった。むしろ本当に“お笑い”の世界しか見てこなかったのだという純粋さを感じた。そもそもなぜ芸人になりたかったのだろう?
「うーん、ずっと夢というか、憧れだったんですよね。僕の両親は離婚していて、月に一回親父と会う時に“お笑い”を見せてくれて、それがいつも楽しみでした。20代前半は靴屋で働いていたんですけど、そこの店にはめちゃくちゃ靴好きな人しか集まらないんですよ。給料の半分くらい靴代に費やすぐらいの靴好き。自分はそんなに靴が好きじゃねぇな、と気づきました。じゃあ何が好きなんだろって考えた時、頭に浮かんだのが“お笑い”だったんです」
靴屋を辞め、芸人養成スクールに入学し、その後は事務所に所属して下積みを続けながら、アルバイトをしていた。それほどのまでの思いなら、社員になってから、芸人に戻りたいと思ったことはないだろうか。
「それはないです」と、平出さんはきっぱり否定する。そして「でも、ほかのみんなには売れてほしいと思っている」と続ける。
「『汚れている現場のほうがやりがいがある、へこたれたら負けだ』と自分に言い聞かせています。何より、やれば確実にきれいになるというのがうれしい」
芸人の場合、努力が不毛に終わることが多いのだ。
アルバイト時代は、社員の指示通りに動くだけでよかったが、今は指示を出す側。さらに社員には現場作業だけでなく、「見積もり」という重要な仕事がある。現場の廃棄量を見きわめて、必要なトラックの台数と大きさ、作業時間、それに伴う金額を依頼者に掲示する業務だ。基本的に同社では追加料金をとらない。そのため見積もりを大きく外して作業日が延長になれば、会社に負担をかけ、依頼者にも迷惑をかける。
同社の仕事は、本来はゴミ屋敷清掃ではなく、「整理業」であるため、大量のゴミから“価値ある物”を見つけ出す目利きも必要になる。
「まだまだ勉強中の身なんですよ。石見さんにはよく嘆かれますね。けど、作業が終わって依頼人の方から『ありがとう』と感謝されると、また頑張ろうって思える」
それは今年で同社勤務10年目という社員の大島英充さんも同じ気持ちだ。大島さんはこの仕事に就くまでは、引っ越し業や電話会社の営業など、さまざまな仕事を渡り歩いてきた。
「電話会社の営業をしていた時は、とにかく契約してもらうことが第一みたいなところがあったので、正直『これは誰も幸せにならない仕事』と感じました。そんな時、求人広告でこの仕事を見かけて、興味を惹かれて応募したんです。面接では『人が亡くなった現場はすごいけど大丈夫?』と言われました。同時期にお酒の配送とか他の仕事にも応募していたのですが、遺品整理業が最も人を助ける、人の役に立ちそうな仕事という気がしたんですよね」
10年前、大島さんは29歳で同社に入社した。入社して数年がたつと、徐々に孤独死の現場にも踏み込んでいくようになったという。
「死後3カ月の現場を初めて見た時は、やっぱり衝撃的でした。でも、僕は作業後もご飯をしっかり食えました。たしかにキツイ面もあるけど、これで喜んでくれる人がいるならいいんじゃないかなって思えました」
大島さんには妻と、2人の子供がいる。先日、自分の仕事について上の子に「お父さんは死んだ人が残した物や、家の中で亡くなって血がついた物を片付ける仕事をしている」と話したそうだ。
「子供は『えっ……』と絶句していましたね。まだイメージできなかったんでしょう。僕は職種に上も下もないと思っていて、“世の中に必要だからある仕事”をしていると捉えています。そしてそういう仕事で自分たちが生活がしていることを、いずれは子供たちに理解してもらえたら」
もちろん大島さんにも、そして平出さんにも、“憂鬱な現場”はある。終わりが見えなかったり、自分たちが頑張っても依頼人から喜んでもらえなかったり。
それでも、一つの現場に区切りがつく頃には達成感をおぼえる。それが次に向かうモチベーションになる。
「それにしても笹井さんも長いですよね。しかもいろんな現場に行っている」
連載7回目の現場で、平出さんにそう言われてうれしい気持ちになった。実は先日、アルバイトの大枝さんからも「去年の夏に行った現場、むちゃくちゃつらかったですよね!」と話しかけられ、思わず笑顔になってしまった。
あるゴミ屋敷の現場を一緒に数時間片付けたーーたったそれだけなのに、いつのまにかかけがえのない仲間だと感じている。
私は普段、一人で取材し、一人で原稿を書いている。だから仕事を通して仲間とつながれる感覚が新鮮なのかもしれない。ゴミ部屋にいる時、周囲の人と自分が同じ世界を見ていることがわかるのだ。孤独死現場にいながら、私は一人でないと感じるのだった。