カビだらけの床を、硬貨で黙々と…
あなたは「部屋の片付け」が得意なほうだろうか。「休みの日にまとめて捨てよう」とペットボトルをためたり、「あとで使うから」とデスクまわりに書類を積み上げたりしていないだろうか。心当たりのある人は、「ゴミ部屋」の黄信号がついていると心してほしい。もともと片付けが苦手な人は、異動や離婚といったライフスタイルの変化から、ゴミ部屋に転落するケースが多い。
私は、生前・遺品整理会社「あんしんネット」の作業員として、多くのゴミ屋敷を掃除し、この連載を執筆している。今回は、ゴミ部屋を解消することの難しさについて、実例を通じてお伝えしたい——。(連載第9回)
昨年12月、ある自治体の地域包括支援センターから、一人暮らしの70歳女性(Sさん)の部屋の片付け依頼が入った。あんしんネット事業部部長の石見良教さんは、「ちょっと厄介な現場かもしれない」と口にした。
「ションペット(尿を入れたペットボトル)はないと思いますが、レジ袋などに大爆弾(=便)を保存している室内です」
地域包括支援センターの職員は、依頼の経緯をこう説明する。
「数年前から当センターではSさんの様子を見守ってきました。時折、様子がおかしいことがあって、ご近所の方も心配していたからです。今回は、『カバンがなくなった』と、ここに駆け込んできました。その中に家の鍵が入っていたんですね。それで一緒に警察署に行くと、どなたかが道端に落ちていた鍵を届けてくれていたんです。警察署から鍵を受け取り、念のため私がご自宅までお送りすると、室内にゴミが溜まっていたことがわかりました」
1DKの室内を、私を含めた作業員4人で、依頼人が指示した物を捨てることになった。現場チーフは、連載第6回・7回でも一緒に仕事をした平出勝哉さん。
いつもより防臭効果の高いマスクをし、便に触れる可能性を考えて軍手でなくビニールのゴム手袋をはめる。
ノックすると、Sさんがドアを開けた。白髪交じりの長い髪をゆるやかに束ねている。口元は使い捨てマスクをしているが、なぜか上部が茶色くしめっている。
Sさんの背後に、透明なゴミ袋の山が見えた。手前に2畳程度のキッチン、奥に6畳ほどの1室があるが、床は見えない。あらゆる物が45リットルのゴミ袋におさめられ、室内はどこも“ゴミ袋の上にしか立てない”状態だ。トイレや風呂は、ドアの前にゴミ袋が積み上げられて使えなくなっていた。
「あの、片付いていなくて……」
Sさんは私たちを見ながら、おどおどと言う。平出さんが「大丈夫ですよ」と優しく声をかける。室内に「床が見えるスペース」ができるまで、「玄関付近の外にいたほうがいい」と提案した。作業を始めて数十分もすれば、室内にスペースができますから、と説明する。
結局、Sさんは玄関ドアから2メートル程度離れた屋外の柱の近くにいることになった。貴重品の詰まったキャスター付きのショッピングバッグ(Sさんは「カート」と呼ぶ)を自分の前に置き、それに寄りかかるようにしている。ズボンの裾は膝のあたりまでめくれていて、そこからのぞく足がむくんでいた。以前、終末期の訪問診療の同行取材で、似た足のむくみを見たことがある。さらにどこかにぶつけたらしい傷跡もある。痛みを感じないのだろう。重度の糖尿病かもしれない、と思った。
この日は手袋、マフラー、コートでフル装備をしても、身震いしてしまうほど寒かったが、Sさんはカーディガンを羽織っているだけだった。
「寒くないですか?」
私が尋ねると、「大丈夫」とうなずき、「部屋にあるカートには、中身が入っているかもしれない」と心配そうにつぶやく。室内からショッピングバッグが全部で7台も出てきた。Sさんと一緒に中身を確認し、どれも空だったので「処分」にまわす。
Sさんに断ってその場を離れ、私も室内に入った。ゴミ袋の中身は汚れたティッシュが多い。そのほか、普段から使っている様子のスーツケースやカバンなどもゴミ袋に入っている。室内には、むき出しで置いてある物のほうが少ないくらいだ。本人なりの“仕分け”なのかもしれない。
ゴミ袋の山を整理していると、布製の黄色や青色のバッグもたくさん出てきた。中身を確認しながら処分を進めていると、
「緑色のバッグはいるの!」
と、玄関付近からSさんの叫ぶ声がした。作業員同士で顔を見合わせ、
「緑ですね。わかりました。とっておきます」
と、玄関に向かって返事をした。「緑色のバッグ」はなかなか見つからない。ようやくゴミ山の下から出てきたものは、薄手のエコバッグのようなものだった。ゴミ山から出てきたくらいだから、もちろん使っている形跡はない。中をのぞくと透明なビニール袋が入っているだけだった。
「この緑色のバッグが必要なんですか?」
Sさんの近くまで行ってそれを確認すると、彼女はうなずいて無言で私の手から奪い取る。
室内のゴミ袋やバッグを運びだしていくと、至るところからゴキブリが出てきた。1DKの中で、私が見ただけでも100匹はいただろう。
しかも勢いのあるゴキブリだ。物をどかして室内の照明に照らされるとサーッと動き出す。食品保存用のプラ容器の中にもゴキブリがいて元気に走りまわり、勢いあまってゴキブリ同士でぶつかっている。適度に暖かく、食べ物は豊富、ゴミ山による死角も多く、きっと住み心地が良いに違いない。大中小とさまざまなサイズのゴキブリがいて、中には半分体がちぎれていたり、物につぶされて圧死しているものもいた。
むきだしの荷物も、ゴミ袋に入っている荷物もカビが生えている。袋同士の隙間から、未開封のサバ缶やお茶のペットボトルが大量に出てくる。なぜか消毒薬も多い。木箱に入って「新米」のシールが貼られた、未開封の米も出てきた。もちろん数年前のもので、もはや“新米”ではない。
そして予想通り、「便」も大量に出てきた。作業前はトイレの前にゴミ袋が山積みだったので中を確かめることができなかったが、室内の荷物を搬出した後にトイレのドアを開けてみると、そこにはビニールに包まれた大量の便があった。水道が止まっていて、トイレが使えないようだ。
水道料金を支払っていないからではない。本人は「水道が壊れている」と主張するが、どうやら元栓を閉めているらしい。「蛇口をひねると、水がびしゃーっと止まらなくなるの……」と言う。「もし水が止まらないことがあったら、また元栓を閉めればいいですから」と説得して、開栓し、水道を使える状態にしておくことになった。
生前・遺品整理会社である同社は、便の回収はできない。後日、自治体の清掃事務所に回収をお願いすることになるという。
休憩中、トラックの荷台近くで、一人の作業員が「なんか臭うな……」とつぶやいた。ゴミに紛れて少しだけ、便が処分ダンボールに入ってしまったようだった。
「サービスで1、2箱(便が)入っている」
と、平出さんが冗談めかして答える。
「フレッシュな臭い」
つらい現場もジョークに代えてしまうのが同社現場のいいところ。けれど私はこの日は、皆と一緒に笑えなかった。
Sさんはゴミ袋がなくなっていくことが不安そうだった。作業員が処分用のダンボールに入れる様子を凝視し、たびたび「それは何?」と尋ねる。物を見せて、「いりますか?」とたずねれば「いる」と答える。けれど、こちらが「汚れているから」と説明して、処分の方向に促せば、納得するものの、部屋が片付いていく様子にうれしさが感じられなかった。依頼人の満足が得られないと、作業を続けることがむなしい。
片付けが進むとともに、室内の床がだんだん見えはじめ、Sさんは部屋の片隅に椅子を置いて腰掛け、私たちの仕事をながめるようになった。
長年、ゴミ山で覆われていた床面には、大量のカビが発生していた。それを見ると、Sさんは椅子から降りてしゃがみこみ、床に落ちていたコインでごしごしと削り始めた。だれも入り込めない、孤独な雰囲気を感じて、私はたまらない気持ちになった。
「こちらでやりますよ」
声をかけたが、Sさんは首を横に振る。そしてまたゴシゴシと一人、床をこする。そのまわりをゴキブリが走る。孤独死現場であれば殺虫剤を使うところだが、生活している環境では、むやみやたらに使えない。
作業が進んで物が少なくなると、室内が寒く感じた。電気が止まっているため、備え付けのエアコンは使えない。
「電気も使えるようにしたいですね。電気のない生活はどれくらいなんですか」
作業の途中で、平出さんが尋ねる。
「2年くらい……」とSさん。部屋の片隅には何年も使っていないという冷蔵庫がほこりをかぶっていた。
(第10回へ続く)