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「視力を失ったのにマンガ1万冊を捨てられない」大家に退去を命じられた40代男性のその後

父親は「1000万円は送金した」と…

「ゴミ屋敷」に住む人の多くは独身だ。家を訪ねてくるような親しい人がいないと、物のため込みがエスカレートする。当初はだれにもわからないが、あるレベルを越えれば、周囲に知られる。自宅が賃貸物件なら大家から退去を命じられてしまう。都内に住む40代男性のケースを紹介しよう――。(連載第17回)

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男性がここで寝起きしていたようだった。(撮影=撮影=笹井恵里子)

糖尿病の悪化から視力を失い、室内が物であふれ返った

たくさんのゴミ屋敷を片付けてきた中で、私の最も印象に残っている依頼人は、糖尿病の悪化から視力を失って室内に物があふれ返り、大家に退去を命じられた40代男性である。私は作業員として片付けながら彼とさまざまな話をし、また彼の両親にも接触することができた。家族から心配され、やがて温かく実家に迎え入れられてゴミ屋敷から脱出できた彼は、とても幸せなケースだと思う。

その男性は40代半ばに、糖尿病が悪化して腎臓病を発症し、透析治療を受けていた。数年前に視力も失い、室内が物であふれてゴミ部屋になってしまったという。その模様が大家に見つかって、「片付けなければ契約を更新しない」と言われてしまったのだった。

今年3月、生前遺品整理会社「あんしんネット」に男性本人から依頼があった。主に、室内にある「大量の本」を処分してほしいという。

男性宅はマンションの3階で、エレベーターがない

私たちが都内にある男性宅を訪れると、すでに「処分する本」と「しない本」が別々の場所に置かれていた。例えば玄関から続く廊下には、コミックや文庫本が1列70~80冊程度積み上げられている。それがずらりと80列ほど並んでいる。室内でも「処分」「迷っている」「捨てない」という3つのゾーンに物が分類されている。

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青いコンテナを使って本を運び出す。(撮影=笹井恵里子)

問題は本の量だった。男性宅は鉄筋コンクリートマンションの3階にあるのだが、マンションにエレベーターがない。現場チーフの溝上大輔さんを筆頭に、「あんしんネット」作業員5人らでバケツリレー形式で室内から本を搬出することになった。

コンテナと呼ばれるプラスチックケースに詰めるだけ詰め、共用廊下、階段、トラックへ、作業員間で手渡しで運んでいく。1コンテナに入る量は30冊に満たない。だから運んでも運んでも終わらない。その日は、まだコートが必要なほど肌寒い日だったが、作業員の誰もが汗だくになった。

ざっと1万冊は超えるであろう本、本、本……。

ペットを飼っていたケージは、何年も前から糞やエサが残ったまま

「いつから本をためていたんですか?」

作業の合間に私は依頼人の男性に尋ねた。

「30年くらい前からですかね」と、男性が応える。給料のほとんどをつぎこみ、3年前に失明するまで本を買い続けていたという。多くはマンガ本だが、露骨な性描写のある「エロ本」もたくさんあった。

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男性宅での1回目の作業(撮影=笹井恵里子)

この日、本とともに動物を飼育するケージを4つ処分することになっていた。中にいたペットは、自分が視力を失って世話ができないため知人に譲ったという。

「いつ頃(知人に)譲られたんですか?」

私が尋ねると「もう何年も前ですね」と、男性。驚いた。ケージの中には、つい先ほどまでペットがいたように、フンやたくさんの餌や水が残っていて、いまも異臭を放っているのだ。

「このケージがなくなったら思い出もなくってしまうように感じて……」

私の驚きを察知したように、男性がつぶやいた。

「だからこんなに時間が経ってしまった」

視力を失った男性の目が赤く充血し、そこに涙が浮かんでいた。

2カ月後、今度は男性の父親から依頼がきた

目が見えなくなり、室内で孤独に仕事をしていた彼の心の隙間を埋めるものが、もう読むことができない本であり、“ペットがいた証し”のケージであったのかもしれない。

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トイレは便座の周囲まで汚れてしまっていた。(撮影=笹井恵里子)

一日がかりの作業で“大きな本の山”はなくなったが、窓は物で埋まっているし、台所も、そして浴室も脱衣室とても生活空間として機能していない。目が見えないため周囲を汚してしまうのだろう。台所周辺には茶色のしみが広がり、黒カビがいたるところに生えていた。トイレの便器のまわりには便と思われる茶色のものがこびりついて、悪臭を放っていた。

私はこっそり男性に対して、「大家さん、片付いていないと契約を更新しないんですよね?」と尋ねてみたが、「まだこれから自分で片付けますから」と男性は繰り返すのだった。室内はまだ片付いていないが、作業は1日だけの契約だ。その日の作業はそこで終了となった。

2カ月後の5月下旬、今度はその男性の父親から「あんしんネット」に依頼がきた。

賞味期限が10年以上も前の「墨汁」になったジュース

室内が片付いていないということで、大家からついに「退去命令」が出たとのことだった。前回の作業から男性の“その後”が気になっていた私は、ぜひとも作業に参加させてほしいとお願いをした。

室内は2カ月前と比べて随分片付いていた。

前回の作業費が19万4000円。作業後、「この残りの物をすべて撤去するとしたらいくらになりそうか?」と、当時のチーフだった溝上さんに尋ねると、「40万円前後」という答えだった。今回のチーフ、平出勝哉さんによると「今日は30万円」とのこと。見積額が10万円程度安くなっている。やはり部屋の物は大幅に減っているのだ。

家主の男性は地方にある実家に、必要な物を抱えて引っ越したという。

作業日には、男性の父親が新幹線に乗って駆けつけてきた。作業員一人ひとりに頭を下げながらこう言う。

「よくもまあこんなに10年20年でためたもんです。先日も雨の中、片付けたんだけど、ジュースなんて賞味期限が10年以上も前のものだから……」

私もその日の作業中に黒ずんだジュースを目にした。“墨汁”といっていい。缶の底にある賞味期限を見ると、「1997」年と記されている。

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炊飯器はかなり前から使っていないようだった。(撮影=笹井恵里子)

2LDKの一番奥に「同じ大きさの本」が積み上げられていた

「でも、前回より随分片付いていますね」

私が父親に話しかけると、「そうだね」とうなづきながら笑顔を見せる。

「よく自分でここまでやったなぁとも思いますね。まぁ、あいつは目が見えないから、こっちも『どれが必要か?』なんて尋ねるのが難しいし、自分でやるしかないんだけどね。息子の荷物を実家へ運んでくれた引っ越し業者の人も、だいぶ片付けてくれたみたいだよ」

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男性宅での2回目の作業。几帳面に同じ大きさの本が積み上げられていた。(撮影=笹井恵里子)

臭いがするような生ゴミ類はほとんどないが、2LDKの一番奥に本が積み上げられていた。同じ大きさの本を揃えて積んでいる様子を目にして、住んでいた男性の本来の几帳面さを垣間見た気がした。

私を含む作業員が3人がかりで本をコンテナに詰める。ある程度、まとまったところで運び出す。本の山が高すぎて、少し運びだしてからが危ないと感じ始めていたところ、

「うわっっーーー」

本の雪崩がおきた。かがんで本をつめていた作業員の大枝祐明さんが、本が直撃したらしい自分の肩をさすっている。

「この現場に関われてよかった」と心から私は思った

平出さんがビニールテープを持ってきて、今度はそれで本をしばる。慎重に山を崩しながら処分を進めていった。

あいかわらず両手いっぱいに本を抱えての階段昇降はきつかったけれど、終わりが見える現場だったから、皆の表情は明るかった。時折作業員同士の笑い声が聞こえる。

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和室の畳も見えるようになった。(撮影=笹井恵里子)

そして以前は物で埋まっていた窓から日の光が差し込んだ時、この現場に関われてよかったと心から私は思った。

作業後、男性の父親ともう一度話をした。

「やはり大家さんは、この状態ではダメだと?」

「そう。強制撤去。出てってくれって」

父親がこちらを見る。

「でもうちに6畳一間だけど、あいつ(息子)が育った子供用の部屋があるからさ。今はそこにいるよ。透析もしないといけないから、4月から受けてくれる病院をみつけるために、探し回ることになったよ」

「この3年で1000万円くらい貯金を崩して振り込んだ」

話す内容は大変そうなのに、父親はどことなく嬉しそうだ。

「お父様がお元気でよかった」と私が言うと、

「あぁ俺が倒れたら終わりだ」と、にっこり。

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2回目の作業で台所も使えるようになった。(撮影=笹井恵里子)

「俺はずっとサラリーマンで、コツコツ貯金しながら60歳まで働いた。あいつが目が見えなくなって、この3年で1000万円くらい貯金を崩して振り込んだなあ」

私が目を見開くと、ガハハと笑って「節約してたから」と、父親が胸を張る。

「会社人生で夏の背広なんて1回しか買ったことないよ。でももう俺も80歳だし、貯金を残しておいても仕方ないからいいんだ。定年してから民生委員9年やって、人様の面倒は見たてきたんだけどさ、自分の息子は……ダメだったね」

目を伏せる父親の様子を見て、胸が痛んだ。

「そんなことないです。1000万円も振り込めるなんてすごいです」と私が言うと、でも、息子との生活が楽しみだと顔を輝かせた。

「家内が一番喜んでるんだよ。このゴミ部屋で死ぬんじゃないかって心配していたから。あ、お姉さん、ちょっとうちの奴と電話で話してやって」

「息子の部屋を片付けてもらえてよかった。ありがとう」

父親は自分のスマホを取り出し、妻へ連絡する。そして「片付けてくれたお姉さんにお礼をいって」と言い、私にスマホを差し出した。

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男性宅での2回目の作業が終わったところ。室内が見渡せるようになった。(撮影=笹井恵里子)

私は電話口に向かって「はじめまして」と言い、1回目の作業に携わったこと、すべて片付かなかったので心配していたこと、けれどご実家に引き取られて安心したことを話した。

「前回、ペットとの思い出でケージも手放せなかったようですが、息子さんなりに一生懸命片付けを進めようとしていて……」

と言うと、年配の女性の涙声がした。

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運び出した本などを処分するカート。(撮影=笹井恵里子)

「ありがとう。私もすごい心配だったから。いい方たちにめぐりあって……。そんなふうに思ってもらえる方に息子の部屋を片付けてもらえてよかった。ありがとう」

数百万円の退去費用はすべて男性の父親が負担

電話を切り、スマホを返した。父親はそれを作業着のようなズボンのポケットにしまいながら、「ほんとにどうも!」と、笑顔で片手を挙げる。

「酒でも飲みながら新幹線で帰るわ!」

後ろ姿から、これから先息子との暮らしへの喜びが伝わってくる。80代とは思えない、元気な足取りだった。

このケースは、1回目の作業代約19万円、2回目の作業代約30万円、ほかに引っ越し費用や退去後のリフォーム代など数百万円をすべて居住者男性の父親が負担した。しかし、本人や親族が原状復帰の費用を支払えるとは限らない。次回は大家が全額を負担することになったケースを紹介しよう。

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笹井恵里子『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(中央公論新社)