紅葉シーズンの11月となりました。緊急事態宣言は解除となり、感染者数が激減してきましたが、その原因はまだ定かではありません。
一説によると、ウィルスそのものが自爆しているという発表もありますが、これはまだ国内の話で、世界的に見てみると、いまだ感染の猛威は衰えを知らないようです。
今後、海外からの入国者対策、いわゆる水際対策をしっかりと行なわないと、変異株のウィルスが広がっていくことも容易に想像できるところです。
あんしんネットでも、日常のコロナ対策を続けていますが、一日でも早く2.3年前の日常を取り戻したいものです。
先月は遺品整理の現場というよりも、福祉住環境整理の大型現場出動が続きました。
特に高齢者の居宅内が主となりますが、このコロナ流行により、やはり高齢者の外出控えが続き、それに伴い身体機能や認知機能が低下して、ひいては室内のゴミの仕分けができないとか、排出ができなくてゴミ部屋にされる方が増えています。
早い段階でそのような状況が発覚すればいいのですが、残念なことに半年や1年間放置されてしまうと、孤独死の危険性が高まってしまいます。
いつも思うことですが、高齢者の定期的な安否確認を含む見守り活動の強化により、そのような現状を打破することはできるのですが、その体制作りができている地域が非常に少ないと見てしまいます。
一度引きこもってしまうと、玄関口のドアを開けてくれません。声掛けも拒否されてしまうケースも多いようです。最近のマンションでは、オートロック化が進んでいるので、そのロックを解除してくれないことも普通にあります。地域で活動されている民生児童委員の皆さんも悩みの種であるということを良く言われます。
今の状況をすぐに変えることは厳しい気がしますが、今を見るのではなく、先読みして将来に向けての活動を始めることが大切だと考えています。
現段階でも、認知症患者数は460万人、その前段階のMCIと呼ばれる軽度の認知症と思われる方が400万人、足し合わせると860万人の方が、判断能力を一部失くしている、完全に失くしている状態にあるのです。この数字は年々増えていく推計となっています。
判断能力がなくなれば、室内のゴミの仕分けも当然できません。と言うことは、ゴミの排出もできなくなり、ひいてはゴミ部屋化が進行してしまいます。
このような図式は見えているのですから、判断能力がなくなる前段階で、しっかりと未来予測をするならば、まずは自分のことを考える必要があります。
自分が介護を受ける立場になったらどうなる?
自分が認知症を発症したらどうなる?
判断能力を失くしたら、誰が自分の後見をしてくれるのか?
そして、介護が終われば葬儀を営まなければいけません。
その葬儀の規模はどういったものか?費用は?
色々と考えておかなければいけません。
元気な方ほど、自分が介護を受けることは考えません。また、自分の旅立ちなども考えたくはありません。
しかし、未来をしっかりと考えておいて、それらのもしもに備えておく必要はあります。
私の「生前整理」のセミナーでは、そのような事柄もお伝えしているのですが、今の現況を踏まえて、将来の自分の姿を、生活をイメージすることが誰にでも求められています。
コロナ感染の流行がおさまってきて、今月は福岡の実家に帰省をします。
久しぶりに父親と対面することになりますが、齢90を迎えた父は、まだまだ元気に生活を続けています。
時を同じくして、次兄も帰省となり、父と3兄弟での食事を楽しみにしています。
そんな時に、家族の絆というものを、しっかりと確認していきたいとも思います。
今の日本の社会は、人との関係性がますます希薄になっているように感じられます。 まずは、家族との絆、そして友人・知人との関係性もしっかりと保ち、お互いを思いやる、そんな心の豊かさを持つことが大切だとも思います。