本人も本当はベッドの上で寝たい
「ゴミ屋敷清掃」といっても、亡くなった人の家を整理する「遺品整理」と、居住者の持ち物を整理する「生前整理」ではまったく異なる。遺品整理は「汚い」「危ない」を乗り越える体力勝負の仕事だが、生前整理では物を捨てさせてくれない依頼人の説得も必要になる。2つの生前整理の現場からレポートしよう——。(連載第6回)(取材・文=ジャーナリスト 笹井恵里子)
<生活保護の受給者である老婆の家を整理してほしい>
生前・遺品整理会社「あんしんネット」にそんな依頼が入った。衣類を中心に部屋中に不用品が散乱し、介護ベッドも物で埋まっていて、ヘルパーやケアマネージャーが訪れてもケアができないという。また、このまま物をためこみ続けると近隣から苦情がくる可能性がある、という行政の判断もあった。今回はあんしんネットの社員、Fさんと私の2人で現場に向かった。
古びたアパートのドアを開けると、部屋中に物があふれていた。食品、書類、洋服……床面は物で埋め尽くされ、積み上がった物が窓からの光を遮る。玄関近くにかろうじて人一人分くらいの床が見えるスペースがあり、丸椅子が置かれている。そこに腰かけている老婆が無表情でこちらを見つめていた。
この日の目標は、<介護ベッドの上に載せられている物を片付け、ベッドを使えるようにすること>だ。
間取りは1DKで、手前に台所、奥に6畳ほどの部屋がある。介護ベッドは奥の6畳間の隅に置かれているらしい。“らしい”というのは、物が山積みでベッドの姿を全く見ることができないのだ。
Fさんが物をかきわけるように部屋の中に進み、台所と6畳間の境目あたりで立ち止まった。そこで一枚の出前のチラシを手に取り、老婆に見せて、笑顔で尋ねる。
「これはいりますか?」
老婆はFさんの手からチラシを奪い取って、ふてくされたようにつぶやいた。
「いるわよ。お昼に注文するもの」
続いてFさんはその近くにあった、手のひらサイズの置物を取り上げる。折り紙でつくられたそのシロモノは周囲の物にはさまれていたため、形が半分つぶれている。
「これは……いらないですよね?」
老婆は目を吊り上げ、「いるわよ! デイサービスで私が作ったものだもの」と今度は声を張り上げた。
私は内心、この現場はいつまでかかるのだろう……と思った。朝9時にこの家に到着し、瞬く間に30分が経過した。整理業の報酬は「時間」ではない。片付けた「物の量」である。しかし、いまだにたった一枚の紙さえ処分できないのだ。
室内に流れているラジオが耳障りに感じた。ラジオの音にかき消されて、老婆の返事が聞き取りづらい。音量を調節したいが、ラジオ本体が物に埋もれてどこにあるのか見当たらないのだった。
しばらくして行政の担当者が到着した。片付けが全く進んでいない状況を見てため息をつき、「いらないものは捨てましょうよ……」と、老婆に話しかける。彼女はそっぽを向いていた。
室内で最も場所を占拠しているのは、何百着という洋服類だ。私とFさんは一つひとつ、老婆に要不要を確認しながら「洋服を減らす」ことになった。
「着るのよ! 子供にもらったものだもの」
「これは私が編んだものよ」
「ブランド品なんだから」
値札がついたままの新品同様の服も少なくない。Fさんが根気よく交渉する。
「世の中には洋服を着ることに困っている人もいます。ここにある物を少しでもリサイクルに回せたら、喜ぶ人もたくさんいるでしょうね」
きれいな洋服類はリサイクルに回すことで本人の利益にもなる。しかし老婆はなかなか手渡さない。よくそれだけ理由が思いつくとこちらが感心してしまうほど、「××だから取っておく」と言い張るのだ。
洋服に紛れて、尿の臭いが漂う毛布類まで出てきた。失禁したのかもしれない。それも「暖かいからいる!」と老婆は叫ぶ。それでも衛生上の観点からFさんや行政担当者が必死に説得し、何とか「廃棄物」としてダンボール箱に入れる。
遺品整理の現場であれば、数時間で2トントラックが満タンになるほど、通常はダンボール(廃棄物)の山になる。しかしこの日の午前中に出したダンボールはわずか2箱にとどまった。
昼休み中、Fさんは会社にいる上司に電話をし、「作業が進まない」現状を困り声で相談していた。
しばらくして電話を切ると、Fさんは「よし」とうなずき、「午後は物の廃棄でなく、“整頓”で室内のスペースを作っていく作戦にしましょう」と私に告げる。「洋服」「カバン」など種類別にダンボールに仕分けし、きれいに揃えて並べていくのだ。そして生活に必要な物のみをダンボールに入れず出しておく。これならば物を捨てないわけだから、老婆の了承を得やすい。
だんだん床が見えてきて、“ゴミ捨て場”のようだった室内が部屋っぽい雰囲気になっていった。
やがて、天井近くまであったベッドの上のものを全てどかすことにも成功。9時半から作業を始めて、時計を見ると16時になっていた。最後は食べ物のカスやホコリだらけのベッドに丁寧に掃除機をかけ、作業終了。
「よかったねぇ、今日からベッドで眠れるね」
作業の終了間際にやってきたケアマネージャーがそう話しかけると、老婆が初めて笑顔を見せた。皆にうながされて、ゆっくりとベッドに横たわる。老婆はベッドが物でいっぱいになってからは部屋の床で、そこも物で埋まってからは台所のわずかなスペースで体を折って眠っていたという。ごろんごろんと体を左右に揺らしながら、老婆はとてもうれしそうな様子だった。今もこの原稿を書きながら、あの時の光景が私の目にはっきり浮かぶ。
大切な物、思い入れのある品に囲まれていたら、本人はゴミ部屋に住んでいても幸せなのか? と考え続けてきたが、人として当たり前である「排泄・睡眠の場」はなくてはならないと思った瞬間だった。
帰り際、Fさんが両手で老婆の手を包みこむように握手をし、彼女の目を見つめてこう言った。
「もう私と会うことがないように生活してくださいね。私たちは整理・掃除屋ですから」
数カ月後、数年後に再び同様の依頼が入り、全く同じような状況を目にすることが少なくないという。そのような時、作業員としてつらい気持ちになる、とFさんは帰り道で私に言った。
ゴミ屋敷に住む人は社会から孤立している場合がほとんどだ。心の隙間を埋めるようにゴミを集め、「ゴミを捨てることは体の一部をとられるようだ」と、捨てられることを全力で拒む。大切なゴミの代わりになるものはなんだろう。
実は“誰かとのつながり”によって、ゴミを捨てられる場合もある。仕事関係でも身内でもなく、隣人とのコミュニケーションで救われたゴミ屋敷の住人がいた。
足が不自由でゴミを捨てることができなくなり、ゴミ部屋化してしまったという依頼があった。依頼人は東京都内で一人暮らしをする70代男性。ケアマネージャーやヘルパーさんが男性の生活援助を行いたいが、物が多くてとても部屋に入れる状況ではない。アパートを管理する不動産屋が見かねて、あんしんネットへ連絡をとったという。
事前に見積もりをとるため、同社社員の平出勝哉さんが男性宅を訪れると、隣に住む70代Tさんも同席。依頼人の男性宅には、連載第2回で記した「ションペット」(小便の入ったペットボトル)があった。平出さんが「これは処理困難物という扱いになるので、弊社で処理すると追加料金となりますが」と話すと、隣人のTさんが「大丈夫だよ、俺が(作業当日までに)捨てておくから」と、申し出てくれたという。
作業当日は社員チーフの平出さん、私、アルバイト作業員を含めた計5人で1DKを片付けることになった。
室内にションペットはなかったものの“尿の臭い”がする。私は今回で10件目の現場だったのでいい加減この臭いにも慣れてきたが、初めて臭いをかぐ人はたまらないだろう。これを隣人(Tさん)が処理したというのだから、すごい。アルバイトの作業員も「あんな友人ほしいなぁ」とつぶやくほど二人は仲が良くて、私もうらやましかった。
たとえば依頼人の男性は「部屋の出入りが多くなるので、いったん外に出てほしい」と平出さんが説得してもなかなか部屋から動けなかった。だが、「ここで座って見ていればいいよ」と、Tさんが共用廊下に椅子を置き、外に出るよう促すと、すんなり腰をあげた。
室内は大量の物が積み上がっているというより、カメラと筆記用具、小銭が、足の踏み場もないほど散らばっていた。カメラは50台はあっただろうか。レアなもの、新品なもの、多種多様なカメラが室内から出てくる。筆記用具、主にペン類も1000本近くはあったと思う。
作業員が廃棄するべきか否かの判断に迷うと、依頼人の男性に声をかける。そうなるとやはり物への思い入れがある本人は“捨てる”決心がゆらぐ。
返事ができない男性に代わって、Tさんが「捨てなきゃしょうがねえだろ」「もう使わねえよ」と横から口を出す。それを聞いて男性が、作業員に「捨てちゃってください」とかぼそい声を出す。
そして一方で、男性は、私が部屋を出入りするたびに、「××は取っといてくれているかな?」と声をかけてきた。作業員の中で唯一の女性だったため、話しかけやすかったのだと思う。
ちなみに××の内容は毎回違う。私に尋ねてくる時は、この世が終わってしまうかのような不安気な様子だった。
「全部あそこにきれいに分けていますよ」
と、私が答えると、男性は安心したように何度もうなずき、「ありがとう」とつぶやくのだった。
その部屋は一日の作業でしっかりきれいになった。作業を終えた室内を見て、依頼人の男性はこう言ったのだ。
「きれいになってよかった。次に頼む時は死んだ後だな」
物がなくなった室内で、これから依頼人が生活していけること、そして作業終了時に依頼人の笑顔があること。それは、作業員に何よりも仕事の達成感をもたらす。
依頼人の男性の言葉を聞いた平出さんは「ああ、この人はきっと孤独死しないだろうな」と、確信したという。
誰かがちょっと背中を押してあげれば、ゴミ屋敷から抜け出せることもあるのだ。